我が家には、魚焼き器がない。


「まぁ、綺麗に食べるんやねぇ、お父さんと違って!」

 

焼き魚を食べると、きまって母に褒められた。
秋刀魚の肝のあたりなんかが大好きで、骨だけを綺麗に残して食べ尽くしていた。ビールの味も知らない子どもなのに。

特別な大好物、という訳でもなかったが、食べはじめると最後までやめられないのだ。

 

23歳の時、人生で初めて引っ越しをした。
生まれ育った実家のある大阪を離れて、ひとり東京へ。職場は原宿の明治通り沿い……という、いかにもキラキラした新生活のスタートだ。原宿に通勤しやすい物件を探した。

 

しかし、ずっと実家でゆるゆると過ごしていたので、1駅原宿に近くと数万円家賃が高くなる賃貸情報を見ては、とたんに世知辛さを感じた。1駅、1駅と、明治神宮前(原宿)から遠ざかる。憧れだった代々木上原なんてもっての他だ。

 

でもせめて、バストイレは別がいい。2階以上じゃないと窓から侵入されるから、危険らしい。オートロックはあんまり意味がないらしい。駅から遠いのは、疲れた時にしんどいから、せめて徒歩5、6分くらいのところがいい。自転車置き場は諦めよう。

 

そうして見つけた部屋は、小田急線の豪徳寺という駅から徒歩6分。たった6畳ほどのスペースを自分のために確保するのに、毎月7万円も払わなければいけなかった。なのに採光は最悪で、窓の外は壁。外が晴れてるのか雨なのか雪なのかもさっぱりわからないような部屋だった。部屋には、世田谷線が通る音がよく聞こえた。

でもその部屋には、魚焼き器が付いていた。
魚焼き器のあるキッチン。なんだかそれだけで、立派な家のように思えた。料理をしよう。魚を焼こう。まな板を置くスペースすらないキッチンだけど、私は毎晩料理をした。ひとりで食べるけど、ちゃんと料理をして、生活している感じが、すこし誇らしかった。

ひっさしぶりの料理!冬瓜ゆっくりとろとろに煮たやつと、秋刀魚と梅干しと大葉をまいたやつ。美味でしたわ

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久しぶりにちゃんと料理した。いくらとシャケのバターごはん!これいける

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ココナッッツカッレェー!ウマァー!!

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深夜おそくに帰ってきては、米を炊き、ブリを煮て、カレーを煮込み、ときどき秋刀魚を焼いた。秋刀魚を焼いて、大根をおろして、醤油をかけたら、単純に実家と同じ味になるから、なんだか懐かしくて嬉しかった。骨だけ残して、ぜんぶ食べた。



塩焼かれました。ウマイナー

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(お恥ずかしいことに、魚の向きが逆である)

 

でも、仕事は本当に忙しかったし、慣れない生活は心も疲れた。深夜にごはんを食べればそのまま寝てしまう。

魚焼き器なんてめったに使わないから、食後に洗うのを忘れて数週間後に「あ、魚焼きたいな」と開いた瞬間、腐った何かを目にして絶叫したりもした。

生活はどんどん乱れていって、料理もしなくなり、肌も荒れ、服はちらかり、狭い部屋はもっともっと狭くなった。
そんな生活だったのに突然、恋人が出来た。泥沼みたいなところでギリギリ暮らしていたから、とにかくまっとうな人間に戻ろうと、あせって部屋を片付けた。いつのまにか一緒に暮らすようにもなったけど、6畳の部屋は大人2人で住むには笑うほど不便で、いつもお互いぶつかりながら、荷物を最小限にして、突っ張り棒を駆使して暮らしていた。食材は近所の100円ローソンで調達し、料理も再開した。お金を節約しながら、ライフハックの積み重ねで暮らしていた。

 

 

しばらくして、恋人も私も、ふたりともフリーランスで仕事をするようになった。家で過ごす時間が増えるからと、もうすこし広い家に引っ越すことにした。

 

彼は音楽をつくる人なので、まずは防音、つぎに防音、とにかく防音のある部屋を探した。いくつも物件を見に行って「この部屋に住みたい!」と思っても、音が漏れる。天井が高くても、音が響きすぎる。いくつもの素敵な物件を、泣く泣く諦めた。

 

 

やっと見つけた1LDKは、二重ガラスで防音もカンペキ。というより、窓を開けると外がうるさすぎる環境で、防音しないと誰も住まないのだろう。でも、とにかくここで、ふたりで生活ができる。広いキッチンのくせに魚焼き器はなかったけど、それはもはや、重要じゃなかった。自分の小さな嗜好よりも、相手が作業できる環境のほうが、私にとってはずっと大切になっていた。

 

今月、彼と結婚した。近々、また違う町に引っ越すかもしれない。でも、魚焼き器はまだ重要じゃない。秋刀魚を食べたくなったら、フライパンにアルミホイルで焼けばいい。見栄えは悪くなるけども。

次の次の引っ越しくらいで、魚焼き器はマストで加えたい。

 

Text by 塩谷舞(@ciotan