上野なつみさま、藤澤しょうたろ様、ご結婚おめでとうございます!
踊って欲しいとか、仕切って欲しいとか、特に何も頼まれてないのですが、気持ちが盛り上がりすぎたので私なりの形で祝辞を述べさせていただきます。
私がなっちゃんの存在を知ったのは、大学一年生のとき。京都芸大の食堂に置いてあったおしゃれー!!なフリーマガジンを手に取ると、「編集長 多摩美術大学1年 上野なつみ」って書いてありました。
ちょっと、理解できませんでした。同学年で、まだ美大生になって日も浅いのに、どうしてこんな雑誌の編集長をしてる子がいるんだ! って。
これです。
※画像を拝借したらリンク元を記載するのが世のマナーですが、まじで怒られそうだからやめときます。
正直なところ、とても悔しかったです。センスもいいし、文章も上手で、インタビューしてる人たちも一流クリエイターだらけ。しかも彼女には軸がある。東京にはこんな美大生のシーンがあるのか、、と、上野なつみさんのブログを読みながら、自分のいる場所を悔やんだりもしました。
確実に触発されました。
その後、幸運なことに、なっちゃんに引き合わせてもらえる機会がありました。私がSHAKE ART!をはじめたばかりの、3年生の初夏のこと。
「君のライバルになるであろう、すごい子だよ」だなんて前振りで紹介されたのはNYの留学帰りでしっかり焼けた背の高い女の子。可愛いというよりカッコイイ。ハキハキ喋るし、頭の回転がとてもはやい。あと、笑うとめちゃくちゃ可愛い。
そこからすぐに仲良くなりました。
でも、仲良しこよしとはちょっと違う。常に刺激を受けていたし、羨ましくもあったし、目標であり、憧れであり、ライバルだ、と思ってました。
上野なつみという存在がなければ、私は関西でフリーマガジン作らなかったかもしれない。雑誌をつくる、というプロジェクトが走りながらもなっちゃんに黙ってたのは、これは強豪媒体になるぞ!と、大学生なりに肩肘張っていたからです。
後出しじゃんけんで申し訳なかったけど、東のPARTNER、西のSHAKE ART!だなんて並び称されたときは嬉しくて嬉しくて仕方がなかったんです。越えてやろうと思ってました。w
今だから言えますけれども!
でも、なっちゃんの視野はめちゃくちゃ広くて。雑誌編集者の夢は、広告代理店にかわり、世界をみすえた商社にかわり。
無茶に思える挑戦を本当に突っ込んでいく姿は、いつも友達として嬉しくて、誇らしくて、なっちゃんと会う時間で、有意義じゃないときなんてほんと1秒もないくらいです。
そしてなっちゃんは、商社からベンチャーに戻ってきて、最っっ高のパートナーのしょうたろさんと結婚が決まって、ほんとこれから楽しみだ! と思った矢先の、しょうたろさんのチリ赴任。
商社で、砂漠で、ミッションを持って働くことになる彼を、悩んで悩んで悩んで悩んだ結果「支える!」と決めたなっちゃん。
友達の引越しで泣くことなんて、まあもう二度とないだろと思ってたんですけど、会えなくなるのが寂しくて涙が出ました。さすがに遠い!遠すぎる!!
でも数ヶ月後、また太陽みたいな笑顔で「チリでしか出来ないことをやる!」と言って、いまでは世界中からライターを集めたWEBメディアの編集長です。
先日なっちゃんからこの話を聞いて、「WEBのことなら任せて!」と言えました。(ネット廃人として生きることで夢のあるプロジェクトに役立てる、こんな嬉しい瞬間ありません! )
もう本当に、こんな素晴らしい友人を持てて私は幸せだし、しょうたろさんが憎いです。でもなっちゃんに釣り合う男は、彼くらいしかいねえんじゃねえか、と本当に思わされる、これまた太陽みたいなひとです。
しょうたろさん、まじでなっちゃんを幸せにしてください。しなかったら砂漠まで殴り込みにいきます。ふたりが日本に帰ってきたとき、私たちが何歳になってるか、東京が、日本がどうなってるかわからないけど。良い循環できるような情報を、仕組みを、ゼロからでもつくっちゃおう! ってひとたちがいて、仲間もみんなポジティブで、未来はキラキラして思えます。
長くなりましたが、本当におめでとうございます。2人を育てたすべての周りの人たちにありがとうと言いたいくらいです。
では、二次会に行ってきます!!
↓上野なつみのチリ・チャレンジはこちらから!
https://twitter.com/natsumiueno