ノストラダムスに殺された、小5の夏


「俺はひどい死に方をすると思うんだ」

とある起業家の男性が、そう言った。

「そんなに沢山、やましいことがあるんですね」と返しかけてやめたときに、「塩谷さんは、どんな死に方をすると思う?」と聞かれた。

「うーん、死に方、ですか」

考えたこともなかった。

「特にこだわりはないですが、痛くなかったらいいですね」

我ながらつまらない返事だなぁ、と思った。



正直、死ぬことなんて、考えたこともない。

だって、今がとても忙しいし、楽しいし、考えるべきことは他にたくさんあるし。

「でも、なんとなくだけど、自分は幸せに死ぬんだと思っています」と、ぼんやりとした考えを答えた。

「楽観的ですね」

と言われた。



違う、死ぬのは怖い。いや、正確に言えば、死ぬことはとても怖かった。

今から17年前。小学校5年生の頃まで、私は毎晩死ぬことばかり考えていた。

Wikipediaより

Wikipediaより

「1999年の7月に、地球が滅亡するって、ノストラダムスって人が預言してるんやって。その人の預言、めっちゃ当たるらしいねん」


小学2年生の頃だった。5歳年上で中学生になったばかりの姉から、寝る前にそんなことを言われた。

私は三姉妹の末っ子で、夜は子ども部屋にある三段ベッドの一番下で寝ていた。いつも夜になると、上の段にいる二人の姉と他愛もない話をしていたが、ある夜、長女がいつになく深刻な口調でその話をしてきたのだ。


「1999年7月に地球が滅亡する」


5歳上の姉のことを盲信していた私は、すんなりとその預言を信じた。それと同時に、目の前が真っ暗闇になった。


「小5で死ぬ」という未来の予定は、私の中を暗い暗い恐怖で満たし続けた。

当時、少女漫画雑誌の「りぼん」を買って読んでいたのだけれども、そこに登場する多くのヒロインは中学生か、高校生だった。少女漫画なので当たり前なのだけれども、みんながみんな恋愛している。

それを見て、私は心底辛くなった。

「私は小学校5年生で死ぬのに、この人たちは中学生まで成長して、女性になって、恋愛をしてる。私だって、ちゃんと大人になってから、人生を楽しんでから、死にたかったのに」

毎晩そんなことを考えては、怖くて怖くて泣いていた。

小学5年生の夏、みんな死ぬ。

自分がいなくなることも、お母さんが死ぬことも、初恋の人が死ぬことも、猫が死ぬことも、ぬいぐるみの「うーちゃん」がマグマか隕石か何かで潰れてしまうであろうことも、全部全部があまりにも辛かった。出来ればはやく、一刻もはやく死んでしまいたかった。

でも残酷なことに、子どもにとっての3年間はあまりにも長い。


「はやく1999年になってくれ!」と願えども、その日はなかなか近づかずに、3年間ずっと私はノストラダムスの恐怖に怯えていた。

授業中や放課後は忘れても、夜になると必ず思い出すのだ。

だから真夜中までラジオでオールナイトニッポンを聴いたり、これでもかとぬいぐるみをベッドに並べたり、自分の中でハッピーな恋愛物語を描いたり、出来うる限りの手段で恐怖から逃れた。

ただ、「中学生になったら、彼氏が出来るかな」なんてことを想像すると、その瞬間に真っ暗になった。自分は小5で死ぬんだから、と反芻した。


そしていよいよ1999年7の月。私は毎晩、「今死んでもいい」と下唇を固く噛んで、死ぬことへの覚悟を決めていた。

でもそんな子どもの一世一代の覚悟なんて誰も知らないうちに、8月になった。信じられないくらい平和に、1999年7月は終わった。みんなが「やっぱり嘘だと思ってたよ」と誇らしげに言っていた。


「まだ生きてる」

3年間も死ぬことに備えて心の準備をしてきた私は、そのことが不思議でたまらなかった。私はごくごく平和に、小学校を卒業し、中学生になって、高校生になって、恋人も出来て、理想とは違うかもしれないけど、大人の女性になることは出来た。いつのまにか「ノストラダムス」のことなんて綺麗さっぱり、忘れていた。







「塩谷さんは、どんな死に方をすると思う?」

28歳になった今、そう問われて、突然思い出したのだ。あんなにも、地球の滅亡が怖かった頃のことを。

悩んで悩んで死ぬほど悩んで、あれほど悩んだのに、私は死ななかった。元気に生きているし、この先も死ぬつもりなんてさらさらない。死ぬことを考えない毎日は、とてつもなくハッピーだ。


「自分は幸せに死ぬんだと思っています」

と答えた後、

「わたしはノストラダムスのおかげで、死の恐怖から解放されたんだと思います」

と言いそうになったけど、やめた。

でも、思わず笑顔になってしまった。


だって、あれほど憎かったノストラダムス相手に、私は「おかげさまで」という気持ちすら抱いていることが、なんだかおかしかった。



1999年7の月、ちぎれそうに後ろ向きだった私は10歳で死んだ。


当時からは想像もつかないくらい、今は前向きに生きている。

Text by @ciotan